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The History of Guinness​®

Our Story

私たちはいつの時代もチャレンジ精神と創意工夫を大切にしてきました。1759年の創業から今日に至るまで、素晴らしいビールをつくることを自らに課してきました。これまでの歴史を誇りに思うと共に、決して過去の栄光に甘んじることはしません。私たちには、成し遂げるべき最高の仕事がまだ残っているはずです。

私たちはいつの時代もチャレンジ精神と創意工夫を大切にしてきました。1759年の創業から今日に至るまで、素晴らしいビールをつくることを自らに課してきました。これまでの歴史を誇りに思うと共に、決して過去の栄光に甘んじることはしません。私たちには、成し遂げるべき最高の仕事がまだ残っているはずです。

Pushing brewing boundaries

今この瞬間も世界中でギネスが楽しまれている間も、私達はパイオニア精神と共に革新し続けています。創業者アーサーの時代から引き継いだ手法は進歩し続けて留まることはありません。私たちには作り出すべきビールがまだまだあるのです。

2014年
The Brewers Project

セント・ジェームズ・ゲートにあるBrew House No.4(第4醸造所)にてBrewery Projectという革新的なプロジェクトを始動。時には全く新しい醸造を試み、時には過去のレシピを現代的に再解釈したりするなど、様々な方法に積極的に取り組むこのプロジェクトは、エキサイティングなビールをつくるために発足しました。

2012年
Made of More

ギネスの新しい歴史の始まりを告げるべく、"Made of More"というテーマでのキャンペーンが開始。

2000年
The Home of Guinness

セント・ジェームズ・ゲートの敷地内に、ギネスの世界を体験できる7階建ての施設が誕生。歴史あるダブリン中心部に誕生したこの"Storehouse"はアイルランドを代表する観光スポットとなりました。

1998年
Tick followed tock

ドラフトギネスをグラスに注いでから泡が落ち着くまでに待つ時間をヒントにした新キャンペーン"Good things come to those who wait"を開始。

1988年
The Rocket Widget

ドラフトギネス缶に入ったカプセル「ウィジェット」が誕生。これにより、クリーミィな泡となめらかな味わいを家庭でも楽しめるようになりました。

2009年
An Anniversary to Remember

ギネス生誕250年という記念すべき年。ギネスの過去80年に及ぶクリエイティブな広告をオマージュしたキャンペーン、迫力のあるライブTVコマーシャルなど、1年を通じてこの記念すべき年を祝福しました。また、創業者アーサー・ギネスの誕生日を祝う「Arthur's Day」というイベントが開催され、世界中で5000万人が参加しました。さらにはアイルランド全土の社会起業家の地位向上ために、アーサー・ギネス財団が設立され、250万ユーロを投じました。

1999年
Rocket launch

缶に続いてボトルでもウィジェット入りの商品を開発(現在ではウィジェットなしに変更。どちらも日本未発売)。

1991年
Guinness Versus Internet

過去40年における最高の発明を決める英国人による投票で、ウィジェットがインターネットを破り、Technological achievement部門でQueen's awardを受賞。

1985年
Pure advertising genius

"Pure Genius"というキャンペーンを開始。特にこのキャンペーンで使用された"Man with the Guinness"というTVコマーシャルは、斬新で創造的なアイディアに満ちたものでした。

2012年
Made of More

ギネスの新しい歴史の始まりを告げるべく、"Made of More"というテーマでのキャンペーンが開始。

2000年
The Home of Guinness

セント・ジェームズ・ゲートの敷地内に、ギネスの世界を体験できる7階建ての施設が誕生。歴史あるダブリン中心部に誕生したこの"Storehouse"はアイルランドを代表する観光スポットとなりました。

1998年
Tick followed tock

ドラフトギネスをグラスに注いでから泡が落ち着くまでに待つ時間をヒントにした新キャンペーン"Good things come to those who wait"を開始。

1988年
The Rocket Widget

ドラフトギネス缶に入ったカプセル「ウィジェット」が誕生。これにより、クリーミィな泡となめらかな味わいを家庭でも楽しめるようになりました。

2009年
An Anniversary to Remember

ギネス生誕250年という記念すべき年。ギネスの過去80年に及ぶクリエイティブな広告をオマージュしたキャンペーン、迫力のあるライブTVコマーシャルなど、1年を通じてこの記念すべき年を祝福しました。また、創業者アーサー・ギネスの誕生日を祝う「Arthur's Day」というイベントが開催され、世界中で5000万人が参加しました。さらにはアイルランド全土の社会起業家の地位向上ために、アーサー・ギネス財団が設立され、250万ユーロを投じました。

1999年
Rocket launch

缶に続いてボトルでもウィジェット入りの商品を開発(現在ではウィジェットなしに変更。どちらも日本未発売)。

1991年
Guinness Versus Internet

過去40年における最高の発明を決める英国人による投票で、ウィジェットがインターネットを破り、Technological achievement部門でQueen's awardを受賞。

1985年
Pure advertising genius

"Pure Genius"というキャンペーンを開始。特にこのキャンペーンで使用された"Man with the Guinness"というTVコマーシャルは、斬新で創造的なアイディアに満ちたものでした。

A bold new era

ギネス初の広告出稿。創業200年を祝して製造された150,000本のメッセージ入り限定ボトルを大西洋に流すというユニークなプロモーション。ドラフトギネスが誕生。アフリカで醸造が開始したのもこの時期でした。

1965年
New Territories

マレーシアでギネス最初の醸造所が誕生。当初の予定よりも6週間も早く、クアラルンプールの近くで創業しました。そして1年後、独立したばかりのマレーシアの大統領によって、正式にオープンされました。

1963年
Authentically African

ナイジェリアでギネスの醸造が開始。英国・アイルランド以外では初めてのことであり、ギネスにまた新しい歴史が開かれました。

1959年
Bi-centenary bottle drop

創業200年を祝し、6週間以上を掛けて150,000本のボトルを38隻の船から大西洋に漂流させました。ボトルには大切なメッセージが何通か入っていました。そこには"「キング・ネプチューンのオフィス」より"と称したカラフルな証明書、ギネスの物語を伝える小冊子、金色のギネス・スタウト・ラベル、さらにボトルをテーブルランプに変える方法までが含まれていました。

1929年
Courageously Creative

ギネスの革新的な広告の歴史はここから始まります。ギネスの初めての広告は、「Guinness is good for you」というコピーを用いたものでした。成功を収めた最初の広告に続き、ギネスは風景・肖像画家でもあるジョン・ギルロイ氏に協力を求めます。この結果、のちにシリーズ化される2つの画期的なキャンペーンが誕生しました。‘Guinness is Good for You’、そして‘My Goodness, My Guinness’です 今やギネスのオオハシとして有名になった鳥(トゥーカン)のデザインもこのときに誕生しました。

1959年
The launch of an icon

抽出用に窒素混合ガスの絶妙な組み合わせによって、ギネス・ドラフトが誕生しました。ベルベットの様になめらかな質感、グラスに注ぐと現れる「カスケードショー」と呼ばれる独特の波打ち模様・・・。ギネス・ドラフトの売れ行きは急速に拡大し、ギネスが大きく成長するきっかけとなりました。

1939年
At ease soldier

ギネスを語るときに「人」というものは重要な要素ですが、第二次世界大戦中も例外ではありません。フランスにいた全てのイギリス海外派遣軍には、クリスマスのディナー用に一本のギネスが配給されました。

1927年
Keeping it in the family

イベア卿2世である、ルパート・ギネス氏が会長として引き継ぎます。

1963年
Authentically African

ナイジェリアでギネスの醸造が開始。英国・アイルランド以外では初めてのことであり、ギネスにまた新しい歴史が開かれました。

1959年
Bi-centenary bottle drop

創業200年を祝し、6週間以上を掛けて150,000本のボトルを38隻の船から大西洋に漂流させました。ボトルには大切なメッセージが何通か入っていました。そこには"「キング・ネプチューンのオフィス」より"と称したカラフルな証明書、ギネスの物語を伝える小冊子、金色のギネス・スタウト・ラベル、さらにボトルをテーブルランプに変える方法までが含まれていました。

1929年
Courageously Creative

ギネスの革新的な広告の歴史はここから始まります。ギネスの初めての広告は、「Guinness is good for you」というコピーを用いたものでした。成功を収めた最初の広告に続き、ギネスは風景・肖像画家でもあるジョン・ギルロイ氏に協力を求めます。この結果、のちにシリーズ化される2つの画期的なキャンペーンが誕生しました。‘Guinness is Good for You’、そして‘My Goodness, My Guinness’です 今やギネスのオオハシとして有名になった鳥(トゥーカン)のデザインもこのときに誕生しました。

1959年
The launch of an icon

抽出用に窒素混合ガスの絶妙な組み合わせによって、ギネス・ドラフトが誕生しました。ベルベットの様になめらかな質感、グラスに注ぐと現れる「カスケードショー」と呼ばれる独特の波打ち模様・・・。ギネス・ドラフトの売れ行きは急速に拡大し、ギネスが大きく成長するきっかけとなりました。

1939年
At ease soldier

ギネスを語るときに「人」というものは重要な要素ですが、第二次世界大戦中も例外ではありません。フランスにいた全てのイギリス海外派遣軍には、クリスマスのディナー用に一本のギネスが配給されました。

1927年
Keeping it in the family

イベア卿2世である、ルパート・ギネス氏が会長として引き継ぎます。

Art Meets Science

ギネスは、またしても先例のないことに挑んだのです。技術進歩のため科学者を雇用したことに、醸造業界は驚きました。それ以降も研究所では革新的な試みが実験されていくのです。

1901年
An Exact Science

ギネス最初の研究室は、二番目のオックスフォード大学出身者である化学者アレクサンダー・フォーブス・ワトソンの下に設置されます。すぐに実験的な麦芽精製が実践され、セント・ジェームズ・ゲートが最先端の醸造所へと変貌を遂げました。

1893年
Experimental Thinking

ギネスは、大学で科学を専攻した学生を採用します。オックスフォード大学出身のトーマス・ベネット・ケースの着任は、セント・ジェームズ・ゲートにおける先例のないイノベーションの幕開けとなりました。

1877年
The Guinness Fleet

ギネスは、アイルランドのリフィー川沿いに貨物を輸送するため、専用の荷船を発注します。

1893年
Experimental Thinking

ギネスは、大学で科学を専攻した学生を採用します。オックスフォード大学出身のトーマス・ベネット・ケースの着任は、セント・ジェームズ・ゲートにおける先例のないイノベーションの幕開けとなりました。

1877年
The Guinness Fleet

ギネスは、アイルランドのリフィー川沿いに貨物を輸送するため、専用の荷船を発注します。

A thirst for adventure

1800年代初頭、他のビール醸造所がその地に留まる中、ギネスはヨーロッパだけでなくアフリカ、アメリカ大陸、そして遥かニュージーランドへと進出すべく、果敢に海へと挑み、自らのつくった黒ビールを世界中に届けるべく地球を横断します。

1868年
Bigger and better

エドワード・セシルは、ベンジャミン・リー・ギネス卿から引き継いだ代々の醸造所を2倍の大きさにしました。新たに改良されたセント・ジェームズ・ゲートの施設には、独自のレールウェイシステムに、樽や麦芽の製造所なども設置されています。醸造所が独自の医療施設、消防団、社員食堂を備えていることから、よく知る人々からは「街の中にある街」と呼ばれています。

1862年
Our seal of approval

この頃誕生したギネスの淡黄色のラベルは、3つの要素で構成されていました。アーサーのサイン、ハープのシンボル、そしてGUINNESSのネームです。

1858年
Pioneering Spirit

当時の航海は今よりも多くの危険が伴い、アイルランドのほとんどのビール醸造所は国内販売にとどめていました。ギネスは違います。1858年には、ニュージーランドのような遠方にも輸出していたのです。

1861年
Stylish Serves

アルバート公が他界し、国中が喪に服します。とあるロンドンのバーではシャンパンでさえもこの荘厳な空気に合わせなければならないと考え、深みと黒色を添えるためにギネス・エクストラ・スタウトを利用しました。カクテルの「ブラック・ベルベット」はこうして誕生しました。

1850年
Inherited skill

ベンジャミン・リー・ギネス卿は、父であるアーサー・ギネス二世から醸造所を引き継ぎます。

1862年
Our seal of approval

この頃誕生したギネスの淡黄色のラベルは、3つの要素で構成されていました。アーサーのサイン、ハープのシンボル、そしてGUINNESSのネームです。

1858年
Pioneering Spirit

当時の航海は今よりも多くの危険が伴い、アイルランドのほとんどのビール醸造所は国内販売にとどめていました。ギネスは違います。1858年には、ニュージーランドのような遠方にも輸出していたのです。

1861年
Stylish Serves

アルバート公が他界し、国中が喪に服します。とあるロンドンのバーではシャンパンでさえもこの荘厳な空気に合わせなければならないと考え、深みと黒色を添えるためにギネス・エクストラ・スタウトを利用しました。カクテルの「ブラック・ベルベット」はこうして誕生しました。

1850年
Inherited skill

ベンジャミン・リー・ギネス卿は、父であるアーサー・ギネス二世から醸造所を引き継ぎます。

The path less travelled

アーサーは、他人と異なる行動を決して恐れませんでした。ロンドン産の黒いビール(ポーター)がダブリンで人気だと知ると、1799年にエールの醸造をやめ、ポーターだけに特化します。彼の街では先例がない試みでした。

1821年
Perfecting the Porter

ギネス・スーペリアー・ポーターの詳細な醸造方法の記録が今も残っています。現在のギネス・オリジナルとエクストラ・スタウトはこうして誕生するのです。

1803年
A new heir

アーサー・ギネス二世は、彼の父の死後、父親の醸造所を引き継ぎます。

1799年
A Leap of Faith

ロンドン産の黒ビールは「ポーター」と呼ばれ、ダブリンの街中や河川の運搬業者の間で人気が高まっていきます。アーサーは勇気をもって大胆な決断をします。エールの醸造を停止し、黒ビールに特化することにしたのです。

1801年
The beer that travelled

勇気あるところに幸運はやってくる。アーサーが最初に醸造したウェスト・インディア・ポーターは、今も続くギネス・フォーリン・エクストラ・スタウトという商品の先駆けとなりました。

1803年
A new heir

アーサー・ギネス二世は、彼の父の死後、父親の醸造所を引き継ぎます。

1799年
A Leap of Faith

ロンドン産の黒ビールは「ポーター」と呼ばれ、ダブリンの街中や河川の運搬業者の間で人気が高まっていきます。アーサーは勇気をもって大胆な決断をします。エールの醸造を停止し、黒ビールに特化することにしたのです。

1801年
The beer that travelled

勇気あるところに幸運はやってくる。アーサーが最初に醸造したウェスト・インディア・ポーターは、今も続くギネス・フォーリン・エクストラ・スタウトという商品の先駆けとなりました。

It starts with a signature

1759年、若きアーサー・ギネスは故郷を後にし、9000年間のリース契約をした醸造所のあるダブリンのセント・ジェームズ・ゲートへ向かいます。大胆な偉業はこうして幕を開けました。

1769年
The maiden voyage

6.5バレルのギネスが帆船に積み込まれ、ダブリンからイギリスに向けて出航しました。醸造所初の輸出の出荷は成功し、これ以降ギネスは海外進出を続けます。

1759年
THE 9000-YEAR LEASE

1759年12月31日、アーサーはセント・ジェームズ・ゲートにある粗末で廃れた小さな施設に9000年間のリース契約を結び、ビールの醸造を開始しました。

1752年
Humble Beginnings

名付け親であるプライス大司教より100ポンドの遺産を相続したアーサーは、キルデアー州のリークスリップにエールビールの醸造所を設立しました。

1759年
Destined for Dublin

一世一代の決意と共に首都ダブリンへ。アーサーが34歳の時でした。醸造業界は不況の最中でしたが、アーサーは困難に果敢に挑みました。

1725年
伝説の幕開け

アーサー・ギネスがキルデアー州のセルブリッジに生まれる

1759年
THE 9000-YEAR LEASE

1759年12月31日、アーサーはセント・ジェームズ・ゲートにある粗末で廃れた小さな施設に9000年間のリース契約を結び、ビールの醸造を開始しました。

1752年
Humble Beginnings

名付け親であるプライス大司教より100ポンドの遺産を相続したアーサーは、キルデアー州のリークスリップにエールビールの醸造所を設立しました。

1759年
Destined for Dublin

一世一代の決意と共に首都ダブリンへ。アーサーが34歳の時でした。醸造業界は不況の最中でしたが、アーサーは困難に果敢に挑みました。

1725年
伝説の幕開け

アーサー・ギネスがキルデアー州のセルブリッジに生まれる